うつくしさと暮らすということ【私の美学】

考えごと

うつくしさと暮らすとは、自分が心地よいと思える空間で暮らすことだと、私は思っています。

それは特別なものを持つことでも、誰かに見せるための美しさを追い求めることでもありません。

日々の暮らしの中で、自分にとって心地よいものだけを選び取っていくこと。

今回は、私がそう思うようになった背景を、テレビ・映像・部屋という3つの視点から振り返ってみたいと思います。

テレビのない部屋で暮らす理由

子供の頃、実家のリビングにはいつもテレビがついていました。

家族が見るともなしに流しているそれを、私も受動的に眺めているような日々でした。

そこには目を覆いたくなるようなニュースや、正直なところ何が面白いのか分からないお笑い番組がよく流れていました。

色々な感覚過敏を持っていた私は、その環境にひどく消耗していました。辛いニュースや事件が流れると、リビングから離れることが多かったです。

怖い番組がついている時は自室にこもり、音楽を聴いて、音そのものが耳に入ってこないようにしていました。病のニュースが流れると、息苦しさを感じることもありました。

お笑い番組も同じで、面白さが分からないまま、ただその場限りの時間をやり過ごしていたように思います。

実家を出て暮らす今、私の家にはテレビがありません。「なんとなくテレビがついている」という状態が、もともと苦手だった私にとって、これはとても大きな変化でした。

今はパソコンで、自分が見たい穏やかなVlogやBGMを流していることが多いです。

映像を選び取るということ

思えばYouTubeを見始めたばかりの頃は、煽るようなサムネイルに操られるがまま、見ても自分の気分が良くならない動画をなんとなく再生していました。

それが変わったのは、エッセイを読むようになってからです。

やさしい暮らし、穏やかな暮らしというものが存在することを知り、それは待っていれば与えられるものではなく、自分で作りながら守っていかなければならないものなのだと学びました。

それ以来、能動的に好きな映像を選び取ることで、心から快適だと思える映像だけを摂取できるようになっています。

物を手放して見えてきたもの

部屋についても、同じような変化がありました。

実家にいた頃、自室は物で溢れかえり、足の踏み場もない時期がありました。

ある程度片付けられるようになってからも、見えるところだけが綺麗で、引き出しの中はパンパンに物が詰まっている状態が続いていました。

きっかけは、一冊の断捨離の本との出会いでした。

最初は本に書いてある通りに、機械的に物を減らしていました。

けれどそれを続けるうちに、だんだんと自分なりの軸ができていったのです。「心地よい物を残す」という判断基準です。

その軸が定まってからは、一気に片付いていきました。今は厳選した本当にお気に入りの物と、必要な物だけで暮らしています。

見えるところはもちろん、引き出しなどの収納の中まで整っています。

おかげで、とても暮らしやすくなりました。心のザワザワが、ほとんどありません。

「とりあえず」をなくすということ

テレビも、映像も、物も。「とりあえず」という選択をなくすだけで、生活はこんなにも変わるのだと実感しています。

自分なりの美学に基づいた空間で生活すること。それは、生きる上での大きな潤いになっています。

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