「トイ・ストーリー5」を通して、”少し変わった子”だった私が肯定された【感想】

考えごと

※ ネタバレを含みます。ご注意ください。

映画館の暗闇の中で、スクリーンから「少し変わった子」というセリフが流れてきた瞬間、思わず身体がこわばりました。

誰かに指を差されたわけでもないのに、まるで自分のことを言われているような感覚だったからです。

物語が進むにつれて、そのフレーズは繰り返され、そのたびに私は座席の中で小さく縮こまっていました。

今回は、そんな「トイ・ストーリー5」を観て感じたことを、自分の子ども時代の記憶と重ねながら書いてみたいと思います。

“少し変わった子”というフレーズに、自分を重ねた

「トイ・ストーリー5」に登場する子どもは、誰かをいじめようとしたり、意地悪な性格をしていたりするわけではありません。

ただ、スマホやタブレットが当たり前になった世界の中で、その流行に少し追いつけず、人形遊びが好きというだけの子です。

それを映画は「想像力豊かな子」と表現すると同時に、「みんなと違う子」とも言っていました。

この二つの言葉が同じ子どもに向けられているところに、私は強く胸を締めつけられました。

というのも、私自身、子どもの頃はまさにそういう子どもだったからです。

クラスの友達がこぞってDSに夢中になっていた時期、私もDSを買ってもらったものの上手く操作できず、楽しい輪の中に入ることはできませんでした。

結局、私は私の中の世界で遊ぶことが増えていきました。

当時は「どうしてみんなと同じように楽しめないんだろう」と、少し寂しく思っていた記憶があります。

映画の中の子が「想像力豊か」と「みんなと違う」の間で揺れ動く姿は、まさにあの頃の自分そのものでした。

想像力とスマホは、対立するものではない

物語が進むと、その子は最終的に、自分と趣味の合う友達を見つけて楽しく遊ぶようになります。

世界的な映画スタジオが、こうした少数派の子どもに寄り添う内容を正面から描いていたことに、私は素直に驚きました。

同時に、スマホで受動的に情報を受け取ることが当たり前になった現代の私たちに対して、想像力を使うことの大切さや面白さを、静かに訴えかけているようにも感じました。

印象的だったのは、スマホやタブレットといったデバイスの描かれ方の変化です。

物語の序盤では、まるで悪者であるかのように扱われていたデバイスが、終盤には人形遊びと共存すべき存在として描かれていました。

人形遊びとスマホは、どちらか一方を選ばなければならないものではなく、それぞれの良さを状況に応じて選び取っていけばいい。そのことに、あらためて気づかされた気がします。

私自身、ブログを書くときはアナログな手帳にアイデアを書き留めることもあれば、スマホのメモアプリを使うこともあります。

道具はどちらが正しいというものではなく、その時々で心地よい方を選べばいいのだと、映画を通して肯定してもらったような気持ちになりました。

シリーズ5作目に必要な、柔軟さについて

一方で、この映画はシリーズ5作目ということもあってか、すべての観客の期待に応えられているわけではなさそうな印象も受けました。

実際に「昔の方が面白かった」「これまでの作品は超えられない」という声もいくつか見かけました。

けれど私は、同じシリーズの5作目にもなれば、ずっと同じテイストで作り続けることの方が、かえって観客に飽きられてしまうのではないかと感じています。

内容が王道でなかったとしても、時代とともに移り変わっていく物語のかたちを受け入れる柔軟さこそ、長く続くシリーズには必要なのではないでしょうか。

これは映画に限った話ではなく、早いスピードで物事が変化していく今の時代を生きる私たちにも、共通して言えることのように思います。

「昔の方が良かった」で立ち止まってしまうのではなく、今この瞬間にある面白さや美しさを見つけていくスキルこそが、これからますます大切になっていくのではないかと感じました。

おわりに

「トイ・ストーリー5」は、かつて「少し変わった子」だった私にとって、当時の自分をそっと肯定してくれるような作品でした。

もし今、あなたの身の回りにあるものが、ひと昔前と少し違う形に変わっていたとしたら。

それを「昔の方が良かった」で片づけてしまう前に、今のかたちの中にある面白さを、少しだけ探してみませんか。

半径1メートルの世界にも、きっとまだ気づいていない発見が眠っているはずです。

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