うつくしいもの#02 カーテンのゆらぎ

うつくしいもの

春の朝、カーテン越しの光が身体に触れる瞬間があります。まぶたの裏がふっと明るくなって、目を開けると、白いレースのカーテンが淡く発光しているように見える。そんな朝に出会うたび、私は「うつくしいもの」を一つ見つけた気がします。

このブログでは「半径1メートルのうつくしさを考える」というテーマのもと、日々のささやかな景色に目を向けています。今日取り上げたいのは、カーテンの「ゆらぎ」についてです。

白いレースのカーテンが好きな理由

私は、白のレースのカーテンが好きです。厚手のカーテンのように光を遮るのではなく、光をやさしく、柔らかに通してくれるところに惹かれます。

窓の外から差し込む光は、レースの編み目を通ることで、部屋の中に淡い模様を落とします。

時には光の形そのものが壁や床に映り込み、時には隙間から細い光がまっすぐに差し込む。同じ光でも、通り方によってまったく違う表情を見せてくれるのです。

そしてもう一つ好きなのが、ささやかな風でそよそよと揺れる様子です。強い風でなくてもいい。むしろ、かすかな空気の動きに反応して揺れる、その頼りなさがうつくしいと感じます。

「ゆらぎ」とはなにか

「ゆらぎ」という言葉を調べてみると、一定の状態からわずかにずれたり、不規則に揺れ動いたりする状態を指すそうです。

完全に静止しているのでも、大きく暴れているのでもない。そのあいだにある、微妙な動きのことを言うのだと思います。

カーテンは人の手によってつくられた、完成された人工物です。それにもかかわらず、床にも壁にもしっかりと固定されているわけではありません。

だからこそ、風が吹けば揺れるし、光が差せば表情を変える。この「固定されていない余白」があるからこそ、ゆらぎが生まれるのだと思います。

まぶしい光に包まれて消えてしまいそうな存在

不思議なのは、カーテンは確かにそこに存在しているのに、朝の眩しい光を正面から浴びると、光そのものに包まれて輪郭が薄れ、まるで消えてしまいそうに見えることです。

実態はあるのに、あるのかないのか分からなくなるくらい、光に溶けていく。その儚さもまた、私がこのカーテンに惹かれる理由の一つなのかもしれません。

人間もまた、揺らいでいる

カーテンのゆらぎを眺めていると、ふと自分自身のことを思い出します。人間もまた、身体も心も、常に揺らいでいる存在だからです。

人生がうまくいっていると感じる時期もあれば、理由もなく不安になる時期もあります。

私自身、体調が思わしくないときは心まで不安定になりやすく、逆に心に不安があると、それが体調にまで影響してしまうことがあります。

心と身体は、思っている以上に強くつながっていて、どちらか一方だけを整えようとしても、うまくいかないことが多いのです。

どこか不完全で、まわりの光や風の当たり方によって表情を変えていくカーテンの姿は、そんな私たちの在り方と、どこか重なって見えます。

力を抜いて、自然に身を任せてみる

カーテンは、風や光に逆らうことなく、ただそこに身を任せています。抵抗せず、揺れるままに揺れている。その姿を見ていると、私たち人間ももう少し、自然に身を任せて力を抜いてみてもいいのかもしれない、と思うのです。

揺らぐ自分を無理に止めようとせず、少しずつ受け止めていく。そうやって、肩の力がふっと抜ける日を、これから一日ずつ増やしていけたらいいなと思っています。

窓辺で揺れるレースのカーテンは、今日も静かに、そのことを教えてくれている気がします。

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